川上 薫

大宮に見る関東流の土木技術

関東郡代の伊奈氏の活躍によって、大宮においては備前渠用水が開削されて新田開発が盛んとなりました。伊奈氏が用いた関東流の土木工事によって、利根川沿いには霞堤も設けられました。坂東大橋の上流右岸側には霞堤の遺構があります。自然の地形を巧みに活用した関東流の手法は、江戸時代初期までは十分に機能していましたが、徐々に紀州流へと以降していきました。

 

1783年の浅間山大噴火の際には、大宮宿でも降灰の被害を受けています。備前渠用水の元圦が使えなくなり、利根川の河床は著しく上昇したのであります。西国大名による普請によって復旧が進められますが、中条堤に依存する治水には限界が訪れていました。浅間山噴火後には本庄の街は、水害に何度も見舞われています。寛保の大洪水や明治43年の大水害では、甚大な被害がもたらされました。戦後にはカスリーン台風の被害も受けていますが、近年には大規模な水害は発生していません。

 

大宮地域で伊奈氏の功績を知るためには、空堀りの区間が残る備前渠用水を観察することが欠かせません。備前渠は地元では単に備前堀とも呼ばれ、長閑な自然とともに親しまれています。備前渠用水の取り入れ口は江戸時代から何度も移設を経験し、現在では利根川サイクリングロード沿いにあります。

 

大宮の街は水害と隣り合わせでありながらも、人々の知恵によって乗り越えてきた歴史もあります。小山川には多くの冠水橋があり、増水時に橋を守るための工夫も施されています。"